東京国分寺ターゲットバードゴルフ協会
国分寺TBG協会15周年記念誌より
国分寺TBG協会15年のあゆみ

創設時の思い (2代会長)

                                                                                                    岡芹 昭三

 本来ならば、私の文章の前に、初代会長の勝野さんのものが入るのが順序であると思い
ますが、残念な事に、だいぶ以前にお亡くなりになられました。会長職をやられた中で、
亡くなられたのは勝野さんだけ、他の方は現役で活躍されております。そこで、この際、
創立時にご活躍された初代会長勝野さんのことを述べさせていただきます。

 勝野さんは、アイデアマンであり話し上手、みなの意見を程よくうまくまとめてくれる
人であの当時の最適任者であったと、今でも思っております。

 新発案になるターゲットバードゴルフなるものを、国分寺市の高齢者の生涯スポーツと
して取り入れ、協会を作って、普及してほしいとの市からの要請です。「創業は易く守成
は難し」といいますが、何もないところからはじめる訳で、市から派遣された峰岸さん
10年誌参照)を入れて会議、会議の毎日でした。今から思えば、勝野さんが居なければ、
どうなっていたか?、今はただ、ご冥福を祈るばかりです。

 私は、初年度は、副会長で、競技ルールの作成、ゴルフコースの設計、その運営方法案
等を担当しましたが、なにせ全くの新しいスポーツであり、なにもないところからから取
りかかる訳ですから,試行錯誤の連続でした。しかし、幸いにも場所、道具、この二つを
市から提供していただいた事は、誠に有難いことでした。(
10年誌にも述べたが)暗中模索
3ヶ月でしたが、平成34月からの会の発足には、会員も40数名、会則、ルール集、コー
ス,すべて整い、立派な出発進行となったと思って居ます。

 思えば、アッという間の15年であり、いや、あれやこれやと一つ一つ思い起こせば、
なんと多事多難な
15年であったと、しかし、定年後、病気がちな私にとって、TBGは、
健康を維持し、生き甲斐を持てるスポーツです。

 

H17.9.18                    
全国レクレーション  大会(IN東京)
 国分寺より11名参加
(役員として5名参加)

私とTBGとの出会い                                                                                              内藤 清 

 

国分寺TBG協会創立15周年おめでとうございます。

もう15年も経つのか?率直な私の気持ち、年の経つのは早いもの自分が年とって行くのを
忘れているとしみじみと感じます。

私とTBGとの出会いは13年前(1993年)の秋でした。会社をリタイヤして、これから



何をして過ごそうか、家庭の粗大ゴミにならないように、先ず外へ出てスポーツをやろうと、
スポーツセンターの
3階のジムに通い始めました。するとグランドで傘を反対に立てて、羽
の付いたボール(シャトルボール)を入れるゴルフのようなものを同年代の人たちが楽しん
でやっている光景を見て、早速グランドに行き峰岸さんに出会い説明を聞きました。私も
ゴルフをやっていたのですぐ馴染み、そして秋の市民大会に出場するよう勧められました。
競技はスクラッチで行われ、優勝は岡芹さん(当時会長)、私は
7位だったと記憶しています。
これが生涯スポーツだと閃き、その年の
12月に入会しました。入会してまもなく後呂、林
両女史より江東の新砂運動場に練習に行きませんかと誘われ、毎週?
3人で地下鉄南砂町駅
さらに歩いて30分の浄水場うえの運動場に通い、コースアドバイザーで公認指導者認定
委員である平渡さんに教わりました、これが非常に勉強になったと、今でもすごく印象に
残って懐かしい思い出であります。

 思えば、994月より2年間、私が5代目の会長を務めた時、助成金により簡保記念大会
を盛大に開催できたこと、更には
10周年記念大会の準備に大わらわし、皆さんの協力で
大会を大成功させた事など思い起こします。

 私はこれからも皆さんと共にプレーに励み、フレー後のいっぱいを酌み交わしの歓談、
旅行を楽しみ、いついつまでも健康で愉快な仲間と余生をエンジョイしたいと願っており
ます。

          



                                                                                                                               

 

 

カンポ大会 H13.9.23         

           

創立15周年を迎えて

清水 勝義

○ シャトルボールとの出会い

 平成6年の初夏、リハビリウォーキングする私をふと立ち止まらせた事がありました。
声のするグランドに目をやると、なんと
20名程の中高年と思える男女がゴルフクラブを
持ち、思い思いに素振りをしているではありませんか。その足元にはバトミントンの羽根
のようなものがあり、「はて?何をするのだろう」、と思いつつ近寄っていく私は興味津々
でした。近くにいた指導者と思われる方に尋ねてみたところ、「これはゴルフをミニ化した
誰にでも出来るバードゴルフと言うニュースポーツですよ、そうそう、チョット一発打って
見ませんか」と言われ、誘われるままに打ってみたところ、自分でも以外に飛んだな…、と
思いましたが、その方に「いいですねえー、よく飛んで、これはいけますよ」と持ち上げら
れその気になったのが始まりで、以後、個人開放日の練習には欠かさず参加するように心掛
けながら、先輩の方々にいろいろルールや協会の事などを教えて頂き、バードゴルフの歴史
とその奥の深さを知ることができました。

 

       バードゴルフを親しむ良き人々

 体調も徐々に戻り、その年の末に会に入会、練習日も多くなるにつれて面白さも増してい
ったが、何よりも楽しかったのは多くの方々と会話を交わしながらの練習日、その日が来る
のを楽しみにする日々が続きました。


 翌年4月に辰巳で行われた第一回東京都オープン大会に先輩に勧められて、始めて試合
に参加した時のことですが、コースや風の状態など、また、周囲の施設内容も全く分から
ない私に親切に教えて頂いた江東区の方、アウトを終えて興奮と疲れで落ち着かぬ私に
「これを口にすると疲れた時などに良いですよ」と言ってウエファースの様なものを差し
出してくれた当協会の先輩の方、親切な方々の支えが初出場の私に思いもよらぬ結果を与
えて戴いたものと今でも時折思い出し感謝致しております。

 平成129月、山梨の一宮で行われた第9回関東大会に出場した時の事で、同伴競技者に
千葉県代表の野村治子さんと言う方がおられましたが、のちのお話ですとその頃はまだバー
ドゴルフの経験が浅かったそうです、翌月、石川県羽咋市で行われた全国スポレク大会に
参加したとき、迎えのバスが遅れて代表者会議場に入ったのは私が最後だったのですが、
「東京さんの席は此処ですよ」と言って近県の

 

 

方と思える数人の人達が席を立って案内してくれました。そして私の席に置いてあった
配布資料には訂正箇所があったのですが、隣席の方が親切に全て書き込んで頂いてあった
のには驚きました。やがて、会議も終わりレセプション会場へ、ところがそこで思いも
よらぬことがありました。袋をさげて「東京の清水さんおりませんか?…」と尋ねて来た
方がいてびっくりしてしまいました。なんと前回の一宮大会で同伴プレーした千葉の野村
さんだったのです。「一宮で教えて戴いた籠入れなど…有難う御座いました、少しは上達
しました、これは千葉のピーナッツ、おみやげです」と、そのあとの会話で、「あのとき
はプレー待ちの合間に、山梨の方と三人で勉強会をしたみたいですね」「私は連続シード
を取れず残念でしたけれど、とても楽しかったんですよ」と言って二人で笑って話しまし
たが、こちらはお土産も準備せず赤面の至りでした。

 もともと腰痛もちの私ですが、一宮の大会で痛めた腰が羽咋の全国スポレクでも再発し、
アウトの後半で痛みだして、小高い丘の上から降りることが苦痛でしたが、和歌山県の方
が駆け寄ってきて肩を支えて頂き、無事休憩所までたどり着くことが出来ました。

 昨年、辰巳で実施された全国レクin東京大会で、以前に競い合った近県の方々と言葉を
交し合ったことで、垣根をつくらず思いやりある、スポーツする良き友達との出会いを改
めて思い出す事が出来ました。

 

       更なる発展を目指して

 15周年と言う節目で過去を振り返ってみるに平成10年9月、会活動が認められて
当時の秋野会長に同行し、スミセイ健康財団賞受賞式に出席
したあの時の感動は、今でも脳裏に焼き付いており、折り畳
み式のアドバンテージホールを見るたびに思い出します。

 平成12年の関東大会や全国スポレク大会の実績、14年東京都
レクリエーシヨン協会、創立
50周年記念の優良団体表彰式、そ
して創立以来昨今に至るまでの、各種大会出場とその実績等、
会として誇りとするものが数多くありますが、最も誇れるもの
は、まとまりと練習会等の参加率が常に70パーセントを越し
ている事で、これは大いに自負しても余りあるものだと思って
います。

 今、団塊の世代と言う事が盛んに言われておりますが、これ
から益々健康維持増進と、余暇を兼ねてのスポーツとして、バー
ドゴルフを試みる人が多くなると思われます。今後、会員の皆
さんと共にバードゴルフについて、遊戯性と競技性がうまく
かみ合っていける様に、また、市のスポーツ施設をより有効的に活用させて頂く様に知恵
を出し合って、伝統を守りつつ、更なる会の発展を目指そうではありませんか。

 

 

幻の時代行列

  秋野 敬一

毎年、文化の日を中心に国分寺祭りが行われ、そのイベントの一つに時代行列がある
ことは周知の通りです。この参加者は公募ですが、不足の人数は体育協会所属の各団体が、
持ち回りで分担することになっていました。

平成6年はTBG協会にも男性3名,女性1名の割り当てがあり、女性は後呂さん、
男性は内藤さんと高橋祐司さんと私が出ることになりました。それに騎馬武者、畠山
重忠役に若い頃馬術をやっていた、当協会の浅野武義さんが候補にあがりましたが、
鎧甲を身に纏い馬に乗るため、高齢の淺野さんに無理があってはいけない、ということ
で獣医畜産大学の学生がやることになりました。淺野さんの勇姿が見られず残念でした。
私達は平安時代の役でしたが、主役、玉造小町には女優の山本陽子さんの姪に当たる
美人が選ばれ、後呂さんはその付き人、男3人は時代幟を持つ役でした。これら120
人分の衣装は映画やテレビの時代劇の衣装を調達する専門の会社から借りるそうで、
その費用は2〜300万円もかかるという話でした。

当日は早朝から九小の体育館に集まり、全員が美容学院の学生に化粧をしてもらい、
着付けは衣装会社の人の指示を受けながら小一時間もかけて何とか様になる所までよう
やく漕ぎつけ、全員完了。いざ出発と勇んだところで空模様がおかしくなり雨が降り
出し、待つほどに激しくなって、残念ながら行列は中止となってしまったのです。折角
着付けたので、グループ毎に写真を撮ってすぐ脱衣し、解散。この時の私たちの勇姿は、
九小に激励にきてくれた根本さんご夫妻の外は誰も見ていないはずです。
                                      

 

 


               国分寺祭り
           TBG協会からも 参加しました

   TBGと共に第2の人生

小林 實

 1988年長らく勤めていた会社を退職し、何もすることがなくボーとしていた時、不図
全国スポーツレクレーションの正式種目になった、ニュースポーツTBGを思い出しました。

 このTBGは普通のゴルフからなんとなく入り易く、身近でやれる、お金がかからない、
ゴルフの持つ面白さ、醍醐味をクラブ1本でプレー出来るTBGを第2の人生の伴侶とし、
生涯スポーツにしようと思いました。 国分寺教育委員会は
1988年、ニュースポーツとして
TBGが認められ、より積極的に進められ、平成
3年、国分寺TBGクラブが発足しました。
早速入会の手續をし会員になりました。平成
7年には会長を引き受け。   
その方針として

@      市に出来るだけ頼らない自主運営のクラブ
A     
安全を第一に事故のないクラブ
B      楽しいクラブ
C      生涯スポーツにふさわしいクラブ
D      女子会員の多いクラブ

を考えました。その為には基礎を固め会員の勧誘に務めようと考えましたが残念ながら
計画の半分も実現出来ませんでした。力不足を痛感しました。しかしTBGが私の第
2
人生の生涯スポーツに成った事は間違いありません。クラブの益々の発展と皆様のご活躍
を祈ります。

ハザードあり、飛び地あり、攻略の作戦?

名物8番ホール

国分寺TBG協会創立15周年によせて

望 月 四 郎

当協会の創立15周年にあたり、まずは平成3年創設期の役員並びに諸先輩の方々に対
して、当時の熱意とご苦労に深く感謝の意を表すると共に、今日を迎えられましたことの
喜びを分かち合いたいと思います。

 15年の歴史の中で、私が関わった期間は丁度10年になりますが、平成8年に入会
して、その1年後には早くも当時の小林会長より役員の任命を受けました。

役員には早過ぎると思いながらも、お受けして以来通算8年間、理事・事務局・副会長
・会長等を歴任して今に至っております。              

省みれば此の間、自己の技術の向上と役目の責任に夢中であったため、過ぎてしまえば
短い期間であったようにも感じられます。              

私の入会は、市の体育指導員による「60才からの健康づくり教室」への参加とその頃
開かれていた協会主催の「講習会」が契機となりました。未塾であってもルールとマナー
を守り、他人に迷惑さえかけなれば、誰でも楽しめる生涯スポーツであると感じたもの
でした。   

ご承知の通り、バードゴルフの魅力は何といっても「飛ばす爽快感と醍醐味」にあり
ます。また、一度でホールインすれば「達成感」は更に倍加されて何にも変えがたい心境
に酔いしれます。 

私も早く腕を上げて、この感じを味わいたい一心で、秘密裏にゴルフ教室にも通いスイ
ングの基本を学んだ経験もあります。その成果なのか或いは高ハンデの幸運か、平成10
年の取切り戦で「金曜杯」、平成12年の春季大会で「優勝」の栄誉も頂いております。 

 当協会もこれから更に20年、30年への歩みを進めて発展していかねばなりません。
現会長が推進中の「会の活性化と更なる普及」に及ばずながら協力を惜しむものではあり
ません。
限られた施設の中で、今後どのように対処していくかの課題もあります。

全員のご協力と創意工夫があれば成就出来るものと信じております。また15年を刻んで
来た中で高齢化も進んでおりますが、バードゴルフを生活の一部と位置づけている方々も
多いと思います。ゆとりを持って自己の体調管理と会員同士の交流を深めながら「ナイス
ショット」を楽しんで行こうではありませんか

以 上

大会後の表 彰 式

 

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