平成23年 24年 | |
南側(県道89号線)から見上げた伊予ケ岳。 | |
南東側(岩撫家の手前、県道88号)から見た伊予ケ岳 | |
富山町民族資料館の壁にある伊予ケ岳案内板 | |
平群天神社の狛犬、背景は伊予ケ岳。(狛犬というと怖いイメージが ありますが、ここのはなぜかユーモラス) |
|
平群天神社境内の紅梅は三分咲きでいい香り。(菅原道真公が詠んだ、 『東風吹かば匂いおこせよ梅の花・・・』が、頭に浮かびます) |
|
神社の狛犬は律儀に参拝客を見守ります。(中央奥に見える楠の木は、 天神社のご神木『夫婦くすのき』で、樹齢千年、根周り4m30cm、 樹高25mで南房総市の指定文化財) |
|
伊予ケ岳中腹の林道で見つけた、二分咲き河津桜 | |
角島大橋にて H23-10-17 山口県長門市西方の油谷湾西に浮かぶ角島に渡る橋、角島大橋から見た夕日です。 |
|
角島大橋にて H23-10-17 | |
夕日と普賢岳 H23-10-23 島原から熊本に向かうフェリー上から見た夕日と普賢岳 | |
東海の名刹、興津の清見寺前を行く「サンライズ瀬戸、出雲」。この時点では、太陽はまだ 伊豆半島に遮られて出ていません。 清水〜興津h24.6.8. |
|
サンライズが過ぎ去ったすぐあとに、陽が昇ってきます。この頃には、先ほどの「サンライズ瀬戸、 出雲」はすでに由比海岸沿いを走っており、伊豆半島の山々から顔を出した朝日を駿河湾 越しに浴び、車窓からは列車名どおり「サンライズ」の場面を堪能できているはずです。 清水〜興津h24.6.8. |
|
なんでもない機関車の通過場面ですが、朝日に照らされるとコントラストが強調されるせいか、 より重厚な感じがします。 東静岡〜草薙h24.6.20. |
|
「小花の歓迎」、機関車と花は、一般的に結びつかないように思えますが、この写真は線路脇 に咲く「名も無き花」に見送られて、機関車が静岡貨物駅を発車して行く場面です。 東静岡〜草薙h24.6.18. |
|
「春爛漫」、菜の花と機関車(この日は電気機関車のうしろに、ディーゼル機関車も付いて いました)用宗〜焼津h23.4.1. |
|
上と同じ場所で、菜の花をぼかして撮った電車。用宗〜焼津h23.4.1. | |
「斜陽」、(曼珠沙華と電車)。太陽が夕方山陰に沈むわずか一分前の情景、ほかの場所は すでに日影になっています。(彼岸花ではなく、いかにも曼珠沙華という雰囲気を感じました)。 斜陽、h23.9.28. |
|
「赤い絨毯」、こちらは彼岸花をぼかして撮った機関車。上の写真とは違い、午前中に撮った もの 赤い?毯、h23.9.29. |
|
「日出ずる地を駆ける」、(午前4時50分朝日が昇ってきます。その太陽を背に、前照灯だけ を光らせた機関車が、黒い塊となってやってきました。) |
|
「東海の名刹、清見寺境内を走る」旧東海道の宿場町のひとつ、興津宿にある清見寺は、 古くは足利尊氏の寵愛を受けたお寺。また徳川家康が今川義元の下で過ごした12年間 の幼少(竹千代)時代は、この寺で学びました。 題名になぜ境内と書いたかというと、明治時代に鉄道省が東海道線を通すとき、ここ清見寺 の境内を分断して線路を通しました。貨物列車後方に見える跨線橋は、現存する跨線橋では 日本最古ということになります。 ここの線路脇に立つと、近世のものから、遠く鎌倉時代にまで思いを馳せることができます。 |
|
「蒲原、富士見橋からの富士山」。 東海道本線、新蒲原駅の近くに富士見橋と呼ばれる 橋があります。富士山の見頃は桜の咲くシーズンが最高ですが、四季を通じて富士山を見る ことができる場所。 通過中の列車は「サンライズ瀬戸・出雲」。機関車が牽引する特急寝台客車列車は、 3年前「富士はやぶさ」を最後に消えましたが、まだ寝台電車特急は一本残っています。 島根県出雲市駅から「サンライズ出雲」が、香川県高松市からは「サンライズ瀬戸」が それぞれ発車し、岡山駅で連結された後上京します。 車窓から朝焼けの富士山が見える頃、乗客は愛称名通りの夜明け(サンライズ)を迎えます |
|
「さった峠、由比側展望台から」旧東海道の宿場町、由比〜興津間にある「さった峠」は、 東海道の中でも難所中の難所でした。 この峠道が開かれるまでは、旅人は海岸沿いの波打ち際を歩かねばならなかったため、 大波にさらわる人が相次ぎ、東海の「親知らず子知らず」と言われたところ。 安東広重の描いた五十三次宿場町の図絵「由比」と比較しても、400年経った今も 変わらない光景を見ることができる唯一の場所。 東名高速道路と並走する列車は寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」 |
|
「さった峠、興津側展望台から」さった峠の由比側展望台から遊歩道を興津側方向に 数百m歩くと、この場所があります。 写真の撮影時刻は午前5時、駿河湾沿いに眼下を走りすぎる列車は、写真C同様、 寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」。この列車、新幹線を除けば、今では東海道本線で 東京駅と静岡駅を一本で結ぶ唯一の列車なので、自分の思い入れはかなり強いものが あります。 静岡駅を午前4時40分に発車するので、通常は写真に撮ることは出来ませんが、夏至 前後の日の出の早い時期は撮影可能なので、ついつい追いかけてしまいます。 |
|
H24 | |
「後方良し!」 静岡市内には静岡鉄道(静鉄)という私鉄が走っています。静鉄の両端の始発駅は、 共にJRの駅には接続していないので、知名度も低く、日頃鉄道愛好者の間でも話題に なることはありません。沿線地域の行事があるときは、「静鉄」さんは、写真のように率先して ヘッドマークを付けて宣伝してくれます。 市民の足として、100年以上も新静岡駅〜新清水駅間を走り続けている歴史ある 鉄道会社です。漫画「ちびまる子ちゃん」の作者、さくらももこさんは清水市の出身。 |
|
機関車の側面に、朝日が射した瞬間です。日が昇る前に見る機関車は、ただの黒い塊 ですが、朝日が射すとまさに「金の延べ棒が放つ光」に見えるときがあります。 写真@は草薙駅で、Aは興津海岸でのご来光です。 写真Aの貨物列車の積荷コンテナは、わかりにくいのですが左上に「がんばろう日本」の ロゴが書かれています、まだまだわれわれは、東北大震災を忘れてはなりません。「金の延べ棒」 よ、このまま東北まで届け!、と願いました。 |
|
臨済宗の古刹、興津「清見寺」(せいけんじ)外観 本堂はもちろん、中庭や参道でさえ一見の価値があります。 B−2:明かり取り窓(多くの寺で見られるようですが、窓が鐘の形になっているところが、 私のお気に入りです。 B−3:建立時期の古さでは、県内で1〜2を争う総門と、鐘楼の間を今、電車が走り 抜けています。 左手にある山門(写真には見えません)の建設は左甚五郎の弟子が、 山門の欄間彫刻は左甚五郎の手によるもの。寺内には、多くの重要文化財があり、 庭園は国の名勝。境内を歩くと、参道に五百羅漢があり、様々な顔で迎えてくれます。 |
|
JR東海道本線、庵原川(いはらがわ)鉄橋の下は、興津川鉄橋と並ぶ野鳥飛来地。 今年は魚影が薄いので、飛来するサギの数も激減。白サギと、ごいサギが交互に陣地 取りをしています。 C−2:下流の道路橋で待ち構えていたら、こっちに向かって優雅に飛んできてくれました、 電車とサギのコラボが撮影できました。 |
|
平成26年 | |
岩波〜富士岡 H26.11.22 | |
平成27年 | |
五和〜神尾、H27.1.2 | |