東京国分寺ターゲットバードゴルフ協会
考案者 野嶋孝重先生 TBG創業を語る
埼玉TBG協会10周年記念誌より

 TBGの由来       考案者 野嶋孝重

 地域に根ざす「生涯スポーツ」として、ターゲットバードゴルフが全国各地で
注目されています。
 本格的なゴルフスイングの面白さと、ファッションレジャー的な要素も含まれていることから、高齢者に限らず若い人に至るまで人気を集めています。 昭和35年頃、初めて体験したゴルフの爽快感にかつてない感動を受け、その余韻が今でもまだハッキリと脳裏に記憶されています。だが、それとは裏腹に、支払いが高額なのには内心動揺し、ショックを受けました。
 こんなに素晴らしいゴルフなのに、一部の限られた人々のものにしておくのは勿体ない。誰でもが手軽に出来る方法は無いものだろうか?そんな思いを何とか「カタチ」にしようと生来の器用さも手伝って、我流で試行錯誤を続け、やっと辿り着いたのが「制動翼付ゴルフボール」でありました。時すでに昭和43年でした。

 その後、脱サラとなりインテリアデザイナーを営む傍ら、ある切っ掛けで再度「制動翼付ゴルフボール」が話題になった事もあって、自営業の今なら世に出せる。ならばもっと商品価値を出そう、ボールのみでなく、一つのレジャースポーツとして、そんな思いから出来上がったものが、昭和60年2月発表の「ニヤピン競技」です。これは、人工芝にターゲットを描き、得点を競うゴルフ競技でした。
 
 世に出して丁度半年、噂が巡り巡って今度は、第1回伊藤園レディースゴルフトーナメント(昭和60年8月22日〜24日、富士リバーカントリー)にアトラクションとして出品してほしい旨、東急エージェンシーから要請がありましたので、どうせゴルフ場でのアトラクションならば、ゴルフの様にコース競技もやってみたい、そんな思いから急拵らえであったが、ホールはフラフープを地面に置き、中心にビーチパラソルを逆さに立てたものを活用した処、プレイヤーの皆様に好評を戴きましたので、その時のセッティングホールが今日のコース競技の原形になっています。尚、現在の常設
ホールの直径は当時の一番長いクラブ、ドライバーの長さを採用したものです。

 現在わが国の生涯スポーツは、四百数十種類に及ぶと聞いておりますが、ターゲットバードゴルフが第1回目の「全国スポーツレクリエーション祭」又、昨年度からは「ねんりんピック全国健康福祉祭」の正式種目にまで取り上げられました要因としては、一般の人々にも各地で愛用され、テレビ・新聞・雑誌等に数多く紹介された事が、貢献しているものと思われます。
専門家を頼らず、我流で創り上げたものですから、オリジナリティのユニークさと、プレーした時のショットの爽快感などから注目されて、報道の好材料となり、全国各地へ広まって行ったものと思います。最後になりましたが、本書上よりターゲットバードゴルフに携わっておられる関係機関の方々、愛好者の皆様に心から感謝を申し上げまして由来の擱筆に致します。





野嶋先生とツーショットの山ちゃん!平成16年9月14日 
埼玉県川口北スポーツTBGコース(野嶋孝重さん設計コース)にて

昭和61年6月25日
 TBGテレビにTBGが紹介され考案者の
 野嶋孝重さんがコメントしました。
説明はターゲットバードゴルフ考案者 野嶋孝重さん
どこでもだれでも出来ます。広さは約1200坪あれば出来る。
羽根が合成樹脂で飛ばないように出来ていますので、危険性がなく安全に出来ています。当初はパートT(ワン)競技とパートU(ツー)に分けられていました

考案は昭和44年頃アポロ11号が月に軟着陸したのを見て、シャトルボールを思いつき、ターゲットバードゴルフを思いつきましたが、発表は昭和60年です。

ターゲットバードゴルフパート T
上に入ると100点、中心に近ければ50点、30点、10点と加算され、得点が高い人が上位になる競技です。


ターゲットバードゴルフパート U
パートUの競技はピッチングウエッジだけ1本で9ホール回るウエッジコースとドライバーから何でも使えるコースに分かれています。
9ホールパー72でスコアーが少ない人が上位になる競技です。





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